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事務局ニュース【NO.2016-176】

第35回健康医療ネットワークセミナー開催報告

アメリカのがん医療とより正確な情報を得るために

【講師】上野 美和氏(メディエゾン 代表)

【講演資料その1】 【講演資料その2】

2017年2月15日、東京大学医科学研究所で、第35回健康医療ネットワークセミナーを36名の参加者を迎えて開催しました。 米国における最先端のがん治療の現場と日本の患者さんをつなぐかけ橋という立場から、セカンドオピニオンの位置づけや、 正確な治療情報をつかむことの意義についてのレクチャーです。上野氏ご自身の経験を通して培った情熱と強い意志が参加者の皆さんにも届くような手応えのあるセミナーとなりました。

●国境を越えた医療交流のために

日本の薬剤師免許を取得して、米国に移りました。ピッツバーグ大学の大学病院でボランティアを始めたところ、 病院の中のさまざまな人の動きやシステムに興味を覚えたのです。2年後ヒューストンに転居、 世界最大のメディカルセンターにあるMDアンダーゾンがんセンター(以下MDA)で、骨髄移植の臨床試験を扱うボランティアのリサーチナースとなり、 そのままリクルートされ、さらに6か月のトレーニングを受けて、データマネージャー(DM)の仕事に就きました。
毎週10人ほど、骨髄移植を受けにくる患者さんのカルテや投薬/検査情報などをデータ化するのですが、ここで、 何が何でも正しい情報を見つけることを教え込まれましたのです。「たぶん」とか「…と思う」は情報ではないと。
カルテを読んでいるうち、患者さんがどんな理由で、誰が関わって骨髄移植を受けにMDAに来たのかわかります。 日本では移植できずMDAでは可能と言われたものの、結局医療費の支払いができず帰国した大学生の男の子がいました。たとえ結果は同じでも、 もっと早く正確な情報を持って、行動に移していたら…という思いがつのり、病院をやめ、会社設立にいたったのです。
日本でも米国での治療を手助けするためのボランティア団体はあり、できては消えを繰り返していました。支える側の生活もたいへんだからです。 私の中でも葛藤はありました。日米間で、国境を越えた医療交流ができ、米国での治療を希望する患者さんがいるならば、お金をいただいてもいいから、 どなたがきても対応できる環境を整えようと決意しました。患者さんだけでなく、医療従事者の研修もアレンジしています。 日本から研修に来ても研究室から出ず、臨床現場をのぞかずに帰国するドクターなどが多く、臨床現場の方と交流できる環境づくりのお手伝いもしています。

●日米医療教育の違い

オバマ前大統領は2015年1月、10億ドルを投資する「全米がん撲滅ムーンショット(壮大な挑戦の意)計画」を発表しました。 実は、2012年からMDAでは先駆けてムーンショットプログラムを実施しており、当初の8種から今では12種のがんを対象に拡大しています。 バイデン前副大統領のご子息が脳腫瘍でMDAにかかっていたこともあり、全米におけるムーンショット計画につながったのではと言われていますが、 ペンス現副大統領に申し送りされたと伝えられており、計画が続行されることを切望するばかりです。
米国の腫瘍内科医についてご紹介しましょう。腫瘍内科医は抗がん剤治療など、がん治療における船頭のような役割です。 日本の認定制度は2004年スタートと遅かったこともありますが、米国の人口比が約3倍なのに対し、腫瘍内科医の数は14倍。 日本の患者さんが腫瘍内科医に診察してもらう確率はかなり低いと言えます。 腫瘍内科医への道のりはかなり長いものです。まず、一般教育を大学で4年間学んだ後、MCAT(Medical College Admission Test)を受け、 メディカルスクールで4年間学ぶ。なぜ、大学の学部での4年間が必要か。医学部にいきなり入ってしまうと、同じ道を目ざしている人たちばかりで考え方に片寄りが出ます。 さまざまな人と接して、コミュニケーションをとりながら、バランスのとれた人間を形成することは、医師として大切です。学部でも理系重視より、 一般教養を学んだ学生の方が有利という話もあります。メディカルスクール卒業後は、一般研修医として3(〜5)年、内科の一般専門医になる試験を受け勤務医などを経て、 専門研修で2〜6年、専門医試験に合格して晴れて腫瘍内科医として認定されます。さらに数年に一度は更新のための試験が課され、常に新しい治療情報に接していなくてはなりません。

●怪しい情報を見分ける

さて、がんと診断された患者さんが起こす行動は、1.病気について知る、2.治療法を調べる、3.医者を探すことです。結果、どんな問題が出てくるか。 一般的に簡単な方向に流されやすい傾向があります。しんどい治療より、がんを放置したままにするとか何もしなくてもいいと言われたら、そちらに流れてしまう。 また、高額な治療、保険がきかない自由診療、「奇跡の○○治療」など、そういうクリニックほど、インターネット検索すると上位に出てきて、 一般の方がそのサイトをみて本当に理解できるのかと疑問に思えるのが実情です。正確な情報は何か、誰の言葉を信じるべきかわからなくなる。 怪しい情報の見分け方を、日本医科大学腫瘍内科教授の勝俣範之先生が示していらっしゃいます。詳しくは資料をごらんください。
正確ながん治療とは、1.標準治療として、臨床試験を行い科学的効果が証明されたもの、2.臨床試験として登録されている治療ですが、 もちろん患者さんの症状にすべて当てはまるものではありません。主治医の先生と話すことがベストではありますが、納得のいく情報を見極めるための手段として、 セカンド・オピニオン(以下SO)を考えていただきたいと思います。治療法において、主治医以外の専門医から、独立した立場で判断してもらうことが重要です。 日本では、SOは主治医の意見に片寄りがち、紹介状を持っていくとこの通りでいいということが多いと聞きます。米国では、独立した立場から診断を再検証し、 主治医の意見には左右されにくいと言われています。
実は、SOは民間の保険会社によって始まったものです。国民皆保険ではない米国で、長期入院をすすめて高額な医療費を保険会社に請求するケースがあり、 費用は保険会社もちで別の病院にSOを求めて医療費を削減しようとしたことがきっかけだったとか。
現在では、SOを奨励するより、むしろ患者さん自身が正しい情報とは何かを、自分で獲得するための教育をしようという動きがでてきました。しっかりした病院なら、 院内に患者専用の図書館があり、基本的な情報から、専門医が読むような資料まで、すべてそろっており、1年に3回くらいアップデートされています。MDAの図書館には、 すべての専門書を読み漁り、不明な点は納得するまで専門医に訊くような、おばあさんですが、すばらしい司書がいて、的確な情報を得るためのアドバイスをしてくれます。

●チーム医療の中心には患者 US News & World Report誌で、毎年全米ベストホスピタルが疾病ごとに発表されています。がん部門ではMDAがんセンターとNYメモリアルスローンケタリングがんセンター(以下MSK)が1、2位を争っていますが、 メディエゾンでは、SOについて、MDAのほかに、渡米を希望されない患者さんを対象に、MSKを紹介しています。
優秀な病院の条件として、1.患者主体の医療、2.医師によって治療法は変わらないことが重要です。医師のみならずいろいろな専門職の人が患者さんと向き合って、 確実な情報を患者さんに提供するための努力に余念がありません。
チーム医療という言葉が聞かれますが、チームの中心には、必ず患者さんがいて、その周りをさまざまな専門職の人が取り囲んでいる。患者さん自身も、積極的にこの輪の中に参加しています。 診療科や職種を越えたコミュニケーションも活発で、それぞれ専門職としての誇りをもち、チーム医療にあたっているのです。患者さんと話をするときには、上から見てはいけないと、 目線の置き方など細部にも注意をはらうなど、厳しくトレーニングされています。

●上質な情報で運は変わる

日本からの患者さんをお世話するうえで、大きな問題はドラッグラグです。10年前よりは差が狭まってきたものの、日米のギャップはだいたい2年。慢性骨髄性白血病の患者さんが、 骨髄移植しか選択肢がないと日本で診断され、MDAに来られました。2011年、ポナチニブという薬剤の臨床試験に参加して功を奏し、現在は寛解しています。 この薬、日本では昨年11月承認・販売されましたが、米国では2012年冬承認されており、患者さんは臨床試験の段階から半年ごとに渡米して参加していたため、 これまでの薬代(1か月分100万円程)は無料となっていました。次回の渡米がMDAで最後の受診となります。患者さん自身、自分で一歩踏み出したことが、今の自分につながっていると実感されています。
「がんと闘うためには、運と情報が必要」。ある患者さんのお父様の言葉です。日本では、骨髄移植は不可能との診断で、肺への転移も見え始め、ホスピスという選択肢がちらついていたお嬢さん。 米国で出たばかりの薬は6回までしか使えないものでしたが、薬剤の費用だけでも700万円程かかります。さらに病院の施設を使うとなると、費用は1,000万円を超えるため、薬剤のみ購入し、 日本での治療を選ばれました。その薬を3回使うと肺への転移が消え、いい状態で骨髄移植に臨み、現在寛解しています。薬などの情報を知らなければ暗闇の中で娘の死を見守るだけだったのが、 情報を得たことにより、お金がなかったら誰かに借りるなど、親としてやるべき方向が見つかったと、お父様は実感されています。残念な結果に終わったケースもありましたが、 正確な治療情報こそ患者さんの力になるということを胸にきざみ、活動しています。

【プロフィール】

大阪薬科大学薬学部薬学科卒業
日本薬剤師免許取得
1991年、渡米
ピッツバーグ大学付属病院にてボランティアとして活動
1993年、ヒューストンへ移住
MDアンダーソンがんセンターにて、リサーチナースのボランティアとして活動後、リクルートを受け、MDアンダーソンがんセンター内、 骨髄移植科のGvHD専門のリサーチナースとして就職。半年後、6ヶ月間のトレーニングを受け、同科内にて急性骨髄性白血病、 慢性骨髄性白血病、急性リンパ性白血病専門のデータマネージャーとして転職。
2002年、アメリカテキサス州公認のLimited Liability Companyとしてメディエゾン設立

以上

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