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事務局ニュース【NO.2016-172】

【第36回健康医療ネットワークセミナー】

開催概要

日時:2017年4月5日(水)18時30分〜20時30分 

場所:東京大学医科学研究所 2号館2階大講義室
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/access/access/ 
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/access/campus/
(キャンパスマップ10番の建物の2階です)

会費:¥1,000 (NPO健康医療開発機構会員、学生は無料)

定員:70名

講演タイトル:「自己への配慮」としての認知症予防 --ゾテリア東海15年のあゆみから--

講師:小徳 勇人先生(ルリア記念クリニック院長 http://www.luria-mental.com/access_index.html

参加申し込みについて

参加ご希望の方は事務局sanka@tr-networks.orgまでご連絡下さい。

なお、特にお申し込み受付のご連絡はいたしませんが、会場の都合により定員に達し次第、申し込みを締め切ることがございますので、 その場合のみご連絡いたします。ご了承ください。

プログラム

【プロフィール】

1959年東京生まれ射手座O型 私立茨城高等学学校卒 昭和60年東海大学医学部卒業
東海大学付属病院にて研修医 神奈川県立七沢リハビリテーション病院脳血管センター
韮山温泉病院 多摩丘陵病院 横浜市立リハビリテーション病院 東海大学付属大磯病院
東京逓信病院でリハビリテーション医として勤務 専攻 神経心理学平成2年3月医療法人ナザレ園理事長
平成4年11月ルリア記念クリニック開設 平成8年那珂医師会理事 平成10年茨城県精神神経科診療所協会設立
茨城県医師連盟広報委員

【講演概要】

2015年安倍内閣は長寿先進国として新オレンジプランを提示した。プランに追加された「認知症当事者の目線で」 ケアシステムを再構築する。これは刮目に値する事件だった。 これにより早期支援チームの結成、地域ケア会議への当事者参加、 認知症予防教室やオレンジ・カフェの運営、と地域で認知機能障害をもつ人達を支えるフレームが構築されプログラムが走りだした。 しかし認知機能障害者の目線の先に映った未来はバラ色なのか?そもそも彼らの現実認識や主体性を我々は知りえたと云えるのか? 認知症予防教室で起きた出来事をとおして、この了解が困難な病に慄きつつも晩年を生き抜こうとしている同胞に、 ささやかなエールを送り続けることの意味を問い直してみたい。

--クリスティーン・ブライデンとアティチュードによる支援--

クリスティーン・ブライデンは発病当時オーストラリアの国家官僚で「白い悪魔」の異名をとるほどの切れ者行政官だったが、 40歳代の或る日「道に迷い」駆け込んだ病院でアルツハイマー病と診断される。シングルマザーであった彼女は、 診断後に婚活を決意しポールさんという伴侶を得る。クリスティーンはこの病を経験するなかで「自分が自分であり続ける」ことに 自己の価値を見出す。彼女とその努力を支援しつづけるポールは「認知症当事者」として、この病を語るために世界を行脚した。 「私の記憶になってください」というクリスティーンの支援欲求は視力障害者にとっての「私の目の代わりになって手をひいてください」 に相当すると思われる。ポールはどのようにして彼女の記憶になろうとしたのだろうか? 認知症当事者の支援欲求の意味するところを考え、自己の関与について考えることをアティチュードによる支援として東海村の認知症サポーター 研修の理念としている。

--フーコー・パンク・狼--

認知症を際立たせる特徴のひとつが病態失認である。自らは他人と違っている(アンダースザイン)のだという感覚はある。 いつもの自分でもないようだが、そんなにうるさく云われる筋合いはない。ミシェル・フーコーは深淵な思索に疲れると、 夜の街を男娼を求め徘徊した。1984年57歳の彼は、エイズでこの世を去るが、彼の闇から見えた世界の景色は「囚われた者」 の疚しさに満ちている。しかしそれは「囚われた者」が自己を救済するための戦略とも読める。アプローチは異なるもののセックスピストルズの シド・ビシャスも高度に資本化された世界の隠蔽を糾弾するトリックスターとしてフーコーに通底する。 自己を疑ってかかることで生じる疚しさを忘れて、ひとは認知症になってゆく(と想われる)。 ゾテリア東海を持続可能な装置にしているのは「疚しさ」の共有と受容である。家族が認知症者を排除するのは「疚しさ」 に堪えられなくなる時である。狼(いぬ)との生活を可能にしているのはその出自がオオカミであることが相互に自明であるからだろう。

--パレーシアと裸の王様--

アミロイド仮説という悪魔が跋扈している。遡ればウイルヒョウの提唱した細胞病理学に辿り着くが、 神経病理学は染まってくるものは皆病原性のあるものに見えるらしい。神経システムと身体システムは相互隠蔽しながらカップリングしている。 行為は認知と相即であり、知覚と行動は分けることが困難だ。システム全体から見れば老人班など脳のゴミ・些細なノイズに過ぎない。 (奴隷の身分でありながら)真実を述べることをパレーシアと呼び、これを自己のテクノロジーとして知の考古学の果実にしようとしたのも フーコーであった。 認知症予防教室のコア・プログラムは「委員会」への参加と「ギリシア部」「レイチェル・カーソン部」 「晴耕雨読部」何れかの部活動に所属することである。異なる階層で少なくとも2種類の役割と身振りを要求され、 ソーシャル・アクティビストとして活動する。ちなみに「広報委員会」の発行する機関誌は「ゾテリア・プラウダ」である。

--サファリングから自己への配慮へ--

認知症の海馬では時間エネルギーを保存する容量の減少がおきており、時間が失われてしまう。生活に拘泥する時間ばかりが消費され、 生きてゆくことに埋没し、こころにとどめる様な事態に出会わなくなる。どうして海馬はこのように小さく、 惨めで、脆弱な装置に成り下がったのだろうか?それともそれは私の生き方や食べた物、親の因果が廻ったせいなのか? 次々に去来する苦悩にたいして私たちが様々な言説に準拠し躁的な防衛を行っている間にも時間は失われ、 ノイズが積み上げられてゆく。そのような自己の在り方を回避し、配慮ある行動様式を獲得することは可能なのだろうか?

以上     

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