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事務局ニュース【NO.2016-158】

第11回 理事会・総会のご報告
人の輪を拡げよう〜さまざまな方向から、活動を充実していくために〜

2006年の設立から満10年が経ち、節目となる新年度をむかえ、6月1日、東京神田・学士会館で、第11回理事会につづき第11回総会が開かれました。 宮野悟理事が司会をつとめ、珠玖洋理事長が議長に選任され、出席者27名(委任状提出者47名)、2015年度の活動報告、決算案などにつづき、 2016年度の活動方針・予算案が承認されました。

設立から10年をむかえた2015年度は、[健康医療開発機構シリーズ「がん免疫療法の夕べ」]を4回実施しました。 目覚ましい発展をとげ、画期的な治療法として多くの注目を集めている「がん免疫療法」について、さまざまな切り口からセミナーと討論を行い、 さらに終了後の懇親会で参加者の皆さんとコミュニケーションを図りました。 2016年3月20日には、第9回シンポジウム「健康と医療 ―参加と還元―」を開催し、最先端の医療のみならず、医療の費用対効果、患者さんサイドからの視点、 死生観などもまじえ、積極的に意見が交換され、このシンポジウムが契機となり、新たな活路につながることが期待されています。

また総会では、会員組織拡大について、会場から問題提起がありました。今年度は、ステアリング・コミッティで、継続的にこの課題に取り組んでいく予定です。 総会の後、吉澤保幸理事により講演が行われました。

「地方創生と健康医療」〜ローカルサミットでの議論、南砺型地域包括医療ケアから見えるもの〜

吉澤保幸氏(一般社団法人場所文化フォーラム名誉理事、ローカルサミット事務総長、税理士、NPO健康医療開発機構理事 ) 講演資料

健康医療開発機構のご支援もいただき、2008年、洞爺湖サミットが開かれた1週間後、同じ北海道の帯広で、ローカルサミットがうぶ声をあげました。 国民国家間の調整では、グローバル資本主義に起因した地球・環境・いのちを巡る諸問題の解決はむずかしい。今一度ローカルな仕組みを掘りおこしながら、 「確かな未来は、なつかしい過去にある」と、「お金ですべてはかるのではない命の物差しをもとう」と、ものづくり生命文明機構とも連携しつつ活動してきました。 日本の経済成長率は明確に鈍化し、人口減少・少子高齢化の課題に直面しており、かつてのような成長の姿に戻そうとしてももはや出来ない。また、グローバル一辺倒で、 各地にミニ東京ができた結果、大きな都市だけが生き残り、地域は疲弊しつくしてしまう。こうした流れの中で、50年、100年後の未来をどう形作り、 未来の世代に引き引き継いでいけるのか。環境省の中井徳太郎前審議官(現・廃棄物・リサイクル対策部長)と、一昨年の暮れから「つなげよう、支えよう森里川海」プロジェクトを始めたのも、 このような今動かなくては、という強い危機感からです。 この間、ローカルサミットでは毎年、いくつかの分科会に分かれて意見交換していますが、その柱のひとつが地域医療です。人と人、人と自然、生と死の確かな関係を取り戻そう。 自宅で生まれ、自宅で亡くなる例が減り、生と死を身近に感じる機会が失われていくなか、どのようにして地域共助を再構築すべきかと議論を重ねてきました。

本日は、この問題について、小職が政策参与でもある富山県南砺市を例に、医療崩壊から立ち直ってきた道筋をご紹介したいと思います。南砺市は、散居村が日本の原風景として知られ、 五箇山には実際人が生活している合掌造りが点在している。加賀藩前田家の奥座敷だったといえる風光明媚なところです。過疎地でありながら、さまざまな文化芸術に恵まれ、 井波木彫、漆、絹織物他、数々の手仕事も受け継がれてきました。2004年、4町4村が合併し、現在人口約53,000人の南砺市が誕生しました。 2011年9月、東日本大震災の半年後、南砺市で第4回ローカルサミットが開催されました。合併後、2008年ごろからそれまでの医療体制がほころび始め、 市内に3つあった病院のひとつが医師と看護師不足から診療所に転化、一部の診療所も閉鎖されました。そのローカルサミットでは、「お互いさまの支えあい社会」を根幹に、 グローバルマネーには翻弄されてはいけない「いのちの4分野」(農林漁業、環境、健康医療、教育)の地域内連携による地域の自立を進め、 安心して暮らせる持続可能な社会を目ざすエコビレッジ構想が宣言されました。これは、田中市長の2期目の選挙公約となり、市長の 熱い思いと覚悟は、 南砺版『地域包括医療・ケア』にも反映されてきました。介護が必要なヒト、治療が必要なヒト、助けが必要なヒトは真ん中にいなくちゃダメ。行政、医療関係などなどは、 サポーターであるとの考えから、従来の一方的な公助依存のあり方を見直し、統合ケアシステムのイメージ図を市民病院の南院長(当時)と共有し、その実現に向けて時間をかけながらも、 幅広く市民等を巻き込んで進めてきました。

ご多分にもれず、高齢者医療の比重はひじょうに高い。どうしたら患者・家族のQOLを守る地域医療が実践できるのか。治して支える医療は、さまざまな職種で行うことが必要であり、 病院と病院、病院と診療所との連携も密に必要です。行政における縦割りの弊害を除こうと、医療・介護・福祉行政の組織も、何度か改編されています。病院に留まるのではなく、 自宅に戻って治療を継続するには何が必要か。また自宅で看取るためには何が必要か。地域の住民を巻き込みながら、徐々に環境を整えてきました。 このなかで、地域包括医療ケアセンターが、井波高校の跡地に今年の2月起工、来年オープンしますが、市役所の地域包括医療ケア部もここに移転し、医療、介護の集約も進めます。 さらに、自前で介護人材も育成しようと、動きも活発となってきました。こうした関係者との連携には、南砺市には元々浄土真宗の「御講」文化があり、月1回門徒さんが集まり、 それぞれのお宅で語り合うなど、横の連携を取りやすい土壌が左右しているといえます。 介護保険のとらえ方も、「できないことを補う」というより、「できることを引き出す」サービスとして、人の能力や意欲を掘り起こすことを目標に、地域全体で仕組みを考えてきました。 その中核は「訪問看護」です。依頼があったら、絶対に断らない。訪問看護では、富山県の中ではダントツの訪問のべ件数です。また、訪問看護師自身が疲弊しない勤務体制に配慮し、 訪問看護を使えば安心できるという信頼感も培ってきました。専門職として訪問看護師の教育や研修体制を充実させるため、富山大学と連携した講習会も実施して、訪問看護師の数は、 南先生曰く、「キャンディーズからAKBの数へ」と増えています。 そして、避けては通れない「老老介護」の問題。自宅での生活を続けていくためには、24時間型の在宅医療と介護のバックアップは不可欠ですが、地域や家族によるインフォーマルな互助、 自助も欠かせません。2009年から富山大学総合診療部とともに人材育成事業も始め、地域住民参加型の医療システムを模索していたところ、婦人会を中心に「なんと住民マイスターの会」 が立ち上がりました。自分たちでパンフレットも作成し、「南砺の地域医療を守り育てる会」が発足。さまざまな意見交換をかさねていくうち、 自分たちが地域の医療や介護に関わっていくのだと行動変化が起きたのです。今までに310名の地域医療再生マイスターをうみ出してきました。 内訳は、住民30%、専門職52%。女性は74%で、男性は26%です。南砺市はマスコミ対策もなかなかうまく、節目節目で地元紙(北日本新聞)が大きくとりあげ、 地元住民の意識を喚起してきました。

公助、共助、互助、自助、さまざまな要素がからみあい、その結果、一時は15名まで落ち込んだ南砺市民病院の常勤医の数も、現在25名を超えています。 さらに、市は「協働のまちづくりと地域内分権」を推進して、市内を31の自治振興会に分け、一定のお金を地域交付金として渡し、地域の実情にあったまちづくりを委ねています。 また、小・中学校では、「認知症サポーター養成講座」を開き、認知症の人は「困った」人ではなく、「困っている」人だという意識づけを行ってきました。 お寺の住職でもある田中市長は、「結いと土徳」という南砺にしかない精神文化をどうしたら100年後にも伝えられるかと、エコビレッジ構想を基礎に、 昨年「まち・ひと・しごと創生総合ビジョン」を策定しました。私も、南砺市の政策参与として、お手伝いを続けてまいります。 なお、今年11月3〜6日には、第9回ローカルサミット IN倉敷・おかやまが開催され、地域包括医療ケアのついても、地元の倉敷中央病院等の先生方とも分科会で話し合いを行う予定です。 是非、健康医療会開発機構の方々にも多く参加していただきたいと思います。

以上

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