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事務局ニュース【NO.2014-140】

第26回健康医療ネットワークセミナー開催報告

手足に障害のある子どもたちの成長を支える

−子どもから高齢者まで真の共生社会へ技術後進国日本からの脱却−

講師:藤原清香氏(東京大学医学部附属病院リハビリテーション科 助教)

藤原氏は整形外科医師として北京パラリンピックの帯同や板橋にある心身障害児総合医療療育センターで障害を持つ子どもたちの医療と療育に携わり、 その後小児の義手や義肢を学ぶため、カナダに留学し、現在東大病院リハビリテーション科医師として勤務されています。

義肢とは、失われた肉体を人工物で代替することで、患者さん自身の機能的、精神的問題を軽減させるために用いられるものです。 オスカー・ピストリウスという両足義足のオリンピック選手も例に、普通の人の足の機能を上回る義足や高性能のコンピュータ制御の義足もすでに開発、販売されています。 一方で義手は、装飾義手や能動義手、電動義手などある中で、最先端として普及している筋電義手は拇指(親指)と示指(人差し指)・中指で物をつまめる機能だけですが、 5本の指がそれぞれ動く次世代の義手も欧米では開発されています。 日本は科学技術立国と言われ、ロボット技術では、5本の指があるホンダのASIMO、ソフトバンクのPepperなど、その世界に誇るロボット技術は海外でも紹介されています。 しかしながら、義手にはまったく活用されていません。カナダで「Wow、日本から来たの!日本の最先端の義手を教えてよ!」とか「日本ではどんな義手を使っているの? 秋葉原とか行ったら、その辺の部品を組み立てて、筋電義手とかすぐできちゃうんでしょ」と言われながら、現実の日本は筋電義手の後進国です。 義手は片側切断の場合、対側の健常な片手が残っていれば、その手で9割以上のことができるとされ、多少不自由はあるものの、残った手で生活が可能とする考え方があります。 また、手は足と異なり、顔と近いので、外観が重要視される傾向にあり、装飾義手が必要とされる事が多いのです。

1960年代サリドマイド禍があり、その患者さんの支援のために、日本も電動義手開発が行われ最先端でありました。しかし実用化と普及にはいたらず、 当時の臨床現場と開発の擦れ違いや制度上の不備などで、消滅してしまいそのまま現在に至ります。 一方で50年前から継続的に研究開発を行った欧米では、より軽量で使い勝手のよい筋電義手が開発され、生卵を割らずにつかめる、コインを拾えるなど精巧な動きが義手で可能です。 さらに欧米では、乳幼児期から義手や電動義手を積極的に利用することで両手動作が可能になります。筋電義手はその機能に加え、装飾義手には劣るが、見た目が良いこともメリットです。 手がないというよりは、義手があるということで、外見上のコンプレックスも補ってくれます。さらに欧米の上肢切断児は、筋電義手のみならずスポーツや習い事の為にいろいろな義手を作製し、 「手がないから、何かができない。」ではなくて、「この義手のデバイスがあればできる!」と成長していきます。成人後は、何が必要かを判断しながら、場面で義手を使いわけて社会人として生活し、 学校の先生、社会福祉士、作業療法士としてアクティブに仕事をしている人もいます。  現在の日本の子どもたちは義手の処方はほとんどされず、見た目が気になる年齢になるとに装飾義手を作製するケースが多く、したがって、義手なしでほとんどの生活が可能です。 義手があると義手なしでできることがかえってできなくなることから義手を必要とは思いません。義手なしで大人になると、筋電義手や能動義手をうまく使えたらどういうものなのか知るチャンスもなく、 義手の必要性の認識すらできないのは問題ではないでしょうか。義手を使いながら大きくなった人が、やっぱり義手はいらないというのではなく、 手のないお子さんたちの選択肢をごく初期の段階から奪ってしまうからです。そして、キノコ型の義手を使った実際の日本のお子さんの事例では、日本になかった義手を手に入れることをきっかけに、 手がないという自分を受け入れて逞しく成長していく過程を、その子のお母さんが描かれた漫画で紹介されました。

次の課題として、日常生活に必要な福祉用具の支給をするときの制度の壁があります。「前例がないとむずかしい」という日本のお役所の体質だとも言われています。 日本の子どもたちは、そもそも義手を出されていないので、はなから前例などなく、この壁を乗り越えて、お役所の人に理解してもらうのに非常に苦労します。 また、義肢は福祉用具として、日常生活の便宜を図るために支給されるのはいいが、趣味や習い事として使われる用具は適用されません。スポーツ用義手も出されません。 昨年1月に批准された『障害者の権利に関する条約』があります。障害は個人ではなく社会にあるといった視点、障害のある子どもの発達しつつある能力の尊重、障害のない人と同様にレクリエーション、 レジャー、スポーツなどにも参加できる権利ほか、いまの子どもたちがかかえている問題をまさに解決してくれる一文で、大いに期待しています。さらに子どもの健康と運動については、 文科省の『幼児期運動方針』があります。体力・運動能力の向上、意欲的な心の育成、社会適応力の発達など、スポーツの有効性について述べています。 2020年、東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。しかし日常生活に不要ということで、小学生から高校生へのスポーツ用義足の支給はされていません。 義手や義足の子どもたちを教える指導者も見つからないし、パラリンピックを目指そうにも、現状の日本では障害のある子供たちに機会が与えられていないのです。

日本の医療・介護・福祉費用の膨張は財政を圧迫し、これ以上福祉の予算の負担は難しいでしょう。 しかし日本の技術をもってすれば、もっと安くいいものを作れるのではないか。制度でカバーできないなら、一般の人が自腹で買える程度の値段で、国産のものを手に入れられるようにするのが落としどころではないでしょうか。子どもたちが、なにごとにもチャレンジできる社会にしていくためには、いま私たちになにができるか、一緒に考えていただけたらと思います。 日本は超高齢社会となり、病気や障害をかかえる人たちはどんどん増えています。生まれたときから障害をもっている子どもたちこそ、障害については大先輩です。超高齢社会では糖尿病で足を切断したり、大人になってから障害をかかえる人もいます。障害をもっていても、同じ社会でともに生きていく、共生社会のお手本や先導者にこうした子ども達はなりうる人材でもあります。この場にいらっしゃるさまざまな立場の皆さまに、お知恵とお力を貸していただければと思います。      (了)

今回のネットワークセミナーには、30名を超える方が参加され、講演後は、さまざまな質疑応答で熱気を帯びました。 選択ができる環境の中に子どもたちをおいてあげる社会をつくっていくことの必要性、そのためには情報収集と広報体制などの組織化を図り、発言力を高めていくことが大切であり、 民間が動けば、国も動くようになるはず。 義手の国産化については、企業だからマーケットの規模をきちんと示せば、請け負ってくれる会社はあるのではないか。また、義手は完全にパーソナルなものか、あるいはある程度のサイズがあれば、 使い回すような仕組みはできるかとの質問に、どの高さでの切断か、右手用か左手用かなどさまざまで、チャレンジしようとしているベンチャーはあるものの、企業としては手が出しにくいのが現状である。 医療、臨床の立場としては、情報提供して、より良い開発につなげたい。ただし、子どもの義手に関しては、SMLなどの大きさで、壊れなければ使いまわすこともできるのではないかと思われる。 破損がけがにつながる危険もあるため、メンテナンスや供給体制をクリアしないとならない。 筋電義手の開発の背景については、欧米では、傷痍軍人の組織など軍関係の発言力が大きいこと、また、“子どものため”の名のもとに寄付をつのると相当なお金が集まり、障害があろうがなかろうが、 子どもたちの可能性をできるだけ高めてあげようという社会の機運があること。日本では、高齢者対策には比較的お金が集まりやすいが、 選挙権のない子どもたちに対しては後回しにされてしまうことが多いなどとも言及されました。

ありのままがいいと思わざるを得なかった日本の現状を乗り越えて、チャンスがあったら、さまざまな義手を使ってみたい子どもたちに選択肢を与える体制づくりが、早急にのぞまれます。

今回のテーマについては、こちらの講演資料をご覧ください。

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