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事務局ニュース【NO.2014-132】

2014年度第2回GDHDパーティ開催報告

2014度第2回GDHD『偶然の出会いは必然の出会い(Guzenno Deaiwa Hitsuzenno Deai)が、11月12日(火)、学士会館で開催され、 70名を超えるさまざまな分野の方々が集まり、たいへん盛り上がりました。

いつもと同じ場所、同じ料理、いつ来ても同じ安心感。いいマンネリはいいというコンセプトにより、当機構横山禎徳理事の主宰で開催しているGDHDも通算11回目になります。 偶然知らない人に出会い、ちょっとした会話が記憶に残り、いつか再び出会ったときに、予想もしなかったかたちで、Translational Research(TR)、 基礎的な研究成果を健康医療の分野につながる橋渡し研究へと発展することを願っています。  

今回のキー・プレゼンテーションは、渡辺賢治先生(慶應義塾大学環境情報学部 教授・医学部 兼担教授)です。 渡辺先生には、ことし3月に開催された当機構の第7回シンポジウム『未来志向の漢方―ポジティブな多世代共生社会を目指して』にも登場くださいました。 『医は仁術なり』。わが国には世界に誇るべき独自の医療の歴史があります。超高齢社会を迎え、持続可能かどうか危ぶまれる現代だからこそ、 必要とされる医療とはなにか。欧米型医療からそろそろ脱却して、新たな日本型医療を目指す時期にきていると、お話しいただきました。講演資料をご覧になりながら、お読みください。

日本型医療のあり方を考える

キー・プレゼンテーション:渡辺賢治(慶應義塾大学環境情報学部・教授、医学部 兼担教授、健康医療開発機構・理事) 【参考資料】

吸血鬼のような仕組み

慶應大学の渡辺賢治と申します。 この会は不思議な会でして、話題提供として話をしますが、その後は私の話とは関係なく皆さんご自由に交流していただくということで、今日は何をしゃべってもいいそうですので、好きなことを話させていただきます。

先ほど宮野悟先生(当機構事務局長)のご紹介にもあったように、まさに宮野先生と私の出会いが『偶然の出会いは必然の出会い』で、共同研究が始まるときは、最初の5分で決まるものと思っています。森勇介先生という大阪大学の教授がのちほどいらっしゃいますが、森先生がいつもおっしゃるのも『偶然の出会いは必然の出会い』です。

2003年から2004年、ハーバード大学と組んで、慶應大学としても初めてのNIH(米国国立衛生研究所)のグラントをもらったことがあります。そのとき、ハーバードのダナ・ファーバーというがんの病院の中で、十全大補湯という漢方薬なのですが、ものすごくいい研究結果が出ました。そこで、特許取得に向けての100ページくらいの英文の契約書が送られてきて、電話カンファレンスをやろうと、ハーバードの知財センターが連絡してきました。慶應の知財センターはまだできたばかりだったのですけれど、弁理士さんが数名。かたやハーバードの方はPh.Dを持っている弁護士さんが200名はいる。ハーバードというのは、本当にハゲタカのような学校で、オーバーヘッド(間接費)が55%で、お金をNIHからもらっても、ほとんど大学が吸い取っちゃう。その代わり知財はしっかりハーバードに落とせよということなのです。慶應の知財センターでは対応できないというので、アメリカのファーム、法律事務所に持っていこうとしたところ、最低でも1,000万円はかかると言われ、結局この共同研究はつぶしてしまいました。とてもじゃないけれど、もたないと。NIHのグラントは、もらったときはうれしかったのですが、要は海外からの知財を吸い取る仕組みだったのですね。まさに吸血鬼のような仕組みに驚きました。

漢方薬というのは日本ではあまり陽の目をあびないところがありますけれど、欧米ではすごく注目されています。十全大補湯もハーバード発でJTX JapanとかJTX Harvardと英語の名前を付けると、中身は同じでも、いきなり世界中の医者が使い始めることが起こるのではないかと思います。

そういうことで、アメリカというのは怖いという話をしていたら、宮野先生の領域のITとかシステムでもまったくその通りだと。欧米にやられてばっかりだという話になって、こんなジェントルマンの先生が、いきなり鬼畜米英とおっしゃられて、耳をうたがって聞き間違えたのだろうと「えっ?」と言ったら、「あの鬼畜米英が…」と再び言われて、そこで意気投合して共同研究が始まりました。共同研究と言っても何をやるかは決めずに、まず定期的にミーティングをやりましょうということになって、そこから何をやるのか後から決まったのです。 イントロだけで5分かかってしまいしました(笑)。

医は仁術なり

さて本題に入ります。

現在医学部の講義を、慶應大学、東京大学、それから奈良医大でしております。今日は、奈良医大前学長の吉岡章先生もきてくださって恐縮しております。

最初にお見せするスライドは日本の人口ピラミッドです。たしかに1950年代までは、たしかにピラミッドの形をしています。いまは、真ん中が広い釣鐘型というものですね。こちらは、神奈川県の黒岩知事が葉山の御用邸で天皇陛下にお見せした神奈川県の人口ピラミッドですが、衝撃的なのは2050年に一番人口が多いのは、85才以上の女性というあり得ない逆ピラミッドなのです。これを学生に見せるとき、医者になる前にまず日本の社会を治せと言っています。この先この国は持続できないというのが見えていて、若い人たちにとっては本当に暗い将来が待っているように思われます。

奈良県では、奈良医大とのご縁で、奈良県の顧問という立場でやらせていただいていまして、奈良では『漢方のメッカ推進プロジェクト』(http://www.pref.nara.jp/kampo/)を県をあげて取り組んでいます。漢方の発祥は奈良なんですね。なんと1403年前の5月5日に、初めて推古天皇が薬狩りをされたという記録が日本書紀に残っています。推古天皇の時代より少しあとになりますが、光明皇后が正倉院を聖武天皇が亡くなられた後つくるのですけれど、光明皇后は施薬院と悲田院というものもつくります。これは、世界初の福祉施設です。正倉院の御物の中に、いまでも帳面が残っていて60種類の『種々薬帳』という漢方薬のリストがあります。平安京からは、施薬院と悲田院の木簡も見つかっています。正倉院の御物、薬物というのは、ペルシャからきた乳香など非常に貴重なものもあります。光明皇后はそういった貴重な薬を惜しげもなく貧しい人たちに与えているのです。このように「仁」の心が奈良時代からある。

ことしの3月から6月に上野の国立科学博物館で開かれた『医は仁術』展に当機構の会員である南敦資さんに連れていってもらったところ、実に感銘を受けました。日本の漢方は日本独自のものであると言われています。中国にも伝統医療をやっている友人はたくさんいますけれど、どうも同じ薬なのに話が合わない。どこで分かれたかというと、やっぱり江戸時代ということになります。江戸時代というのは、いろいろな文化が花開いた時期でもありますが、これは歌川国芳の作品です。まず幕府がやったことは一般民衆に死というものを徹底的に教える。人間は必ず死ぬと。

つぎは、水戸光圀公が民のために作らせた『救民妙薬』です。当時の漢方薬の原料は高いものですから、なかなか貧しい人の手には入らない。それを、ゲンノショウコとかドクダミとか、要するに民間薬。それは、おばあちゃんの知恵というイメージがあるのですが、まったくのうそです。当時の幕府が意図的に民衆のために知識を整理したものです。薬がなくても、身近な草で治療しようじゃないかと。当然国が栄えれば幕府も栄える。実はこれが「仁」なのですね。「仁」という字は、にんべんに二人。相手の痛みがわかるという意味です。この場合は、幕府の水戸光圀公という為政者が民のために、その痛みを分かちあうということ。よその国ではまったく見られないものであり、日本独自のモデルであるという話を、この展覧会の仕掛け人の鈴木一義先生(国立科学博物館理工学研究部科学技術史グループ・グループ長)から教わった次第です。すなわち、為政者は知識を自分だけのものにして、民衆には知らしめない、というのがヨーロッパの一般的な王朝のありかただったようです。日本では「仁」の心が江戸時代に根づいているということになります。

未病を治す医者

話を予防医療の方に持っていこうと思います。要は、人間は必ず死ぬのです。では、死ぬときには、寿命の長い短いはその人の幸せにつながるのか。長ければいいとうものではないということは、現代の医療を見ていてもおわかりになると思います。

60代で脳卒中をおこして、30年間寝たきりで、孝行息子が仕事をやめて、ところがお父さん、なかなか死んでくれない。30年間介護して、最後の最後に首を絞めて殺してしまったなどという事件など、介護を巡る殺人は年々増える一方です。一生懸命にやる家族ほど疲弊してします。人間はどうやって生きるのかということも大事ですが、これからの世の中では、どうやって死ぬのかということも考えないといけない問題だと思うのです。

貝原益軒という人がいまして、九州ではえっけんというらしいのですが、ふつうはえきけんといいます。貝原益軒は、83才のときに『養生訓』を書いています。実は、貝原益軒自身は、病弱で、いろいろ病気をして、それを克服し、どうやったら長生きにつながるかを書き記したものです。そのなかで耳が痛いのは、若いときにほしいままに生活して、年とってから長生きしたいというのは無理だ。若いときからちゃんと養生しないといけないと書いてあります。

漢方の世界では、医者のランクを上中下に分けるという有名な分類があります。未病という考え方はもう2000年以上前からありますが、唐の時代の孫思?(そんしばく)という人の本には、一番下の医者は、病気を治す、真ん中の医者は人を治す、一番上の医者は国を治すと書かれています。一番下の医者はすでに病気になったものを治す。真ん中ぐらいの医者は病気になりそうなところを治す。一番腕のいい医者というのは、病気になる前、つまり未病を治すと書かれています。

世界中に伝統医療というものがありますが、世界各国共通なのは、予防医療に力を入れていることです。私の恩師の大塚恭男先生がいつも最後におっしゃるのですが、「でも、一番儲かるのは下っ端の医者なんだよなぁ」と(笑)。つまり、病気になってからじゃんじゃか患者さんを診ると。これ、日本の出来高制ですよね。アメリカなんかだと、かかりつけ医がしっかりしていて、地域の医療費が減ると医者の給料が上がるというような仕組みができています。日本の場合はどんどん不健康してください。じゃんじゃか悪くなってから病院にきてくださいというのが、モデルになっています。

先日、アルツハイマーのアミロイドβが血中で測れるとニュースになっていました。アルツハイマー病の場合だと、発症の20年前からアミロイドβが沈着すると言われています。ですから、病気というのは、病気の症状が現れるずっと前から異常があると考えて、ちょっとした異常がある段階で治せばいいのですが、なかなかそうはならない。本来の未病というのは、病気になる前の状態です。

現在、神奈川県では『未病を治す神奈川宣言』をやっていますが、この場合の未病は、知事の思いもあって少し拡大解釈で、「病気の中にも未病あり」と。つまり、介護をうけている人が、誤嚥性肺炎を起こすと入院する。その入院を防ぐのも未病だとも言えます。一人の人間から見た場合、結局、健康とか未病とか病気、医療、介護とかは、人がつくった制度にすぎない。一人の人間の生涯をみた場合には、健康から未病から病気から介護まで、全部シームレスです。ですから、一人の人間を中心にしてものをみるという場合の未病というものをこれから考えないといけないということになります。

今日は何も結論らしいものはありません。あとは、皆さんで考えていただくということです。

医療費は、2011年で39兆円、現在は42兆円ぐらいになっていて、そして2025年問題。団塊の世代が後期高齢者になったとき、54兆円というのが厚生労働省の試算です。最近の試算では、上方修正されていて60兆円。これに介護費が上乗せされて80兆円。どのくらい国が負担するのかわからないのですけれど、当然税収は減っていく中で、社会保障費で日本がつぶれてしまう。

最初に申し上げたように、私が今教えている学生が、50くらいになったときに日本は大変な時代に突入する。君たちがたいへんなときには私は草場の陰で笑っているから、君たちは自分たちでどうにかしないといけないと言っています。われわれの時代の延長に今の子供たちの将来はないわけですから、今、学生が危機意識をもつことが非常に重要だと思っています。

最後に、黒岩知事が知事になる前に、このNPOでやった研究、『漢方・鍼灸を活用した日本型医療創生のための調査研究』を紹介します(http://kampo.tr-networks.org/sr2009/)。

これは、いまみても非常によくできています。その一番の理由は、医療の専門家ではない人たちが入ってくれたことです。伊藤忠の丹羽宇一郎さんとかAFLACの大竹美喜さんとか。医療の世界にいるとどうしてもタコ壺の中に安住してしまって、社会と解離してしまいがちですが、この研究では、いろいろな社会のリーダーたちと日本の医療および漢方のあるべき姿を議論して研究成果をあげることができました。いまだに自画自賛しております。ぜひご覧いただければと思います。

ご清聴、どうもありがとうございました。

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