キー・プレゼンテーション:浅島誠((独)産業技術総合研究所フェロー 兼 幹細胞工学研究センター長)
【参考資料】
2014度第1回GDHD『偶然の出会いは必然の出会い(Guzenno Deaiwa Hitsuzenno Deai)が、7月10日(木)、学士会館で開催されました。 大型台風接近という不穏な天気予報にもかかわらず、80名を超えるさまざまな分野の方々が集まり、たいへん盛り上がりました。 いつもと同じ場所、同じ料理、いつ来ても同じ安心感。いいマンネリはいいというコンセプトにより、当機構横山禎徳理事の主宰で開催しているGDHDも通算10回目になります。 今回はいつもより多く、若手の研究者の皆さんが参加してくださいましたが、さらに活気づくように環境づくりに努めてまいります。
今回のキー・プレゼンテーションは、(独)産業技術総合研究所フェロー 兼 幹細胞工学研究センター長、浅島誠先生です。(略歴:https://unit.aist.go.jp/scrc/ci/intro/asashima.html) 20世紀後半から21世紀にかけて、生命科学は、ものすごい勢いで発展しています。ゲノムの解析、分子イメージング、画像診断、ゲノム編集、クローン生物、脳科学、がん診断、 再生医療、個別化医療などなど、それらはある部分では、苦痛や痛みをのぞいたりして、豊かさと便利さをもたらしたものの、負の部分も考えておかなければなりません。 それらを総合的な見地からお話しいただきました。
【浅島先生 キー・プレゼンテーション(抄録)】
ただいまご紹介いただきました浅島です。
はじめは、この会がいったいどういうものか、よくわかりませんでした。「偶然の出会いは必然の出会い」ということなのですけれども、これは、
フランスの生物学者であるジャック・モノーの『偶然と必然』、英文では”Chance and Necessity”という本を思い出し、横山先生も社会システムデザインをされながら、
自然科学の奥深いところも理解されているのだなと、ひじょうに尊敬しております。
1953年に、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックが、それまで親が子に何を伝えるかという遺伝の物質の本体がなかなかわからなかった、 その本質がDNAの二重螺旋であることを見いだし、遺伝子の本体を明らかにしたわけです。そして、20世紀後半から21世紀の現在にかけて、 生命科学は、本当に変わってきてしまいました。1980年代にワトソンが提唱して、1991年にヒトのゲノムの解読が始まり、多くの国を巻き込んで始まりました。 実際には12年あまりかかって解読が進み、ワトソンとクリックがDNAの二重螺旋を発表した50年後にあたる、2003年にヒトのゲノムの完全な解読がなされました。 31億塩基対から成り立っていることがわかりました。これを解読したことによって、ヒトというものがわかったかというと、実はあまり、本質的なことはほとんどわからなかった。 明らかになったのは、チンパンジーとヒトは、1〜2%程度違うとかその程度です。しかし、その後、いままで使われていなかった部分の遺伝子部分が、重要であることがわかってきた。
その後、分子イメージング、遺伝子治療、再生医療とかいろいろなものが出てきたときに、生命観というものが、大きな変化を迎えます。たとえば再生医療と言えば、 それまでの治療で治らなかったものを細胞を使って治すということなのですが、多くの人たちのイメージとして、臓器を取りかえてしまえばいいと考えてしまったり、 あるいはクローン人間を考えたりしてしまう。そのように先行する技術や、社会の風潮というものが、生命科学が本来もっている、できることとできないこと、 および倫理的に行なって良いことといけないことの境目に、非常に大きな問題を投げかけたわけです。
最近、日本のみならず世界中で、科学者による論文発表などでミスコンダクトが起きている。これはいったいどうしたことだと考えざるを得ない。 生命科学以外の分野の研究者は、生命科学について、こういう条件で、こういう式を整えれば、必ずこうなるはずだという、線と線、点と点を結べば線ができるとみているわけです。 そのへんの生命科学のむずかしさというものが、特に最近は顕著になってきています。
バクテリアとか酵母を使っているときには、この酵母のこの株を使えば、こういう条件であれば、こういう遺伝子を発現しますよと、 つまり物理化学的の方からみてもそれなりに証明できた。1対1で結べたのです。細菌とか酵母のあたりはよかった。ショウジョウバエまでもよかった。ショウジョウバエも、 遺伝子をつぶせばこういう変化が出ると言えた。しかし、マウスまでいくと、一応純系というものがあるものの、ある遺伝子をつぶして症状が出て、ある薬を投与すれば治ることもあるが、 他のマウスを使うと治らないこともある。つまり、1対1で結べるものと結べないものがあるのです。それが、本当に科学かと言われると、私はきちんとした科学ですと言います。
例えばヒトの例を挙げますと、日本人を対象として開発した薬がアメリカ人、海外の人々へ効かないこともある。逆に、アメリカやヨーロッパで開発された薬が日本人に効かないこともある。 つまり、人種や地域によって、効いたり効かなかったりすることが明らかになっている。ところが、生命科学以外の分野の研究者は、一つの細胞に効いたならば、 人間全部に効くはずだと言います。生物のもつrobustnessというか、強靭さ、flexibleなところ、また多様性というもの、個というもの、あるいは種の問題がある。 そういう、現代の生命科学の根本をもう一度考え直し、理解していただかないといけないだろうと思います。
今、個別化医療が大変に盛んになりつつあり、われわれがどのようにして個別化医療に対応していくかが重要になっている。 たとえば、今ここに武藤先生(当機構理事長)がいらっしゃいます。武藤先生は、がんの分野では第一人者でいらっしゃる。では、武藤先生にがんは100%治りますかと聞くと、 治ることもあるけれど治らないこともあるよと答えられるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう、先生。(「その通りです(笑)」(武藤理事長))これほどの大家であっても、 がん一つとっても、1対1では結べないのです。例えば個人のゲノムや体質といったようなもので変わってきます。
このあたりのむずかしさがあるのが、生命科学なのです。多種多様性と生命の奥深さ、美しさというものを改めて考えさせられています。 今ここにいらっしゃるのはいろいろな分野の方々なので、あえて言うと、生命科学という分野を考えたときに、テクノロジーとわれわれの考え方との間に齟齬をきたしています。 一元的に解決できるだろうと思ったものが、実は一元的に解決できなくて、個によって違うもの、あるいは種によって違うものがある。よく言われるように、 マウスで効いた薬がヒトには効かない。ヒトでも、このヒトには効いたけれど、あのヒトには効かない。さまざまなバリエーションがあるわけです。こう考えると、 今重要な岐路にいて、生命科学というものが大きな力をもつがゆえに、いかに向き合うか。個というものと、人間というものと、技術。そして根本的にある自然と人間の関係。 そして人間のもつ歴史の短さ。そういうものを考えたときに、他の生物と共存することの重要性をつくづくと感じるわけです。
最後に、日本のこれからの少子高齢化について少し触れます。 オランダで、第2次世界大戦のあと飢餓状態になって、そこで生まれた子どもたちはどういう状態になっているかというコホート研究があり、克明に追っていって、 二つのタイプになる。一つは成人になると肥満になる。もう一つは精神障害を起こす人が多くなる。ですから、われわれは健康というものに対して生まれてからのことをよく言うけれど、 そうではなくて、胎児のときからすでに考えないといけない。小児学というか産婦人科学というか、そのあたりが日本ではひじょうに遅れています。これをなんとかしないと、 少子高齢化といったときに、元気な子どもを産むことがむずかしくなる。
もう一つ、平均寿命が重要なのではなくて、健康寿命です。健康である寿命がどれだけあるか、そのような仕組みを作らないと、これから先を考えたら、 日本は本当の意味で大きな問題をはらむことになるでしょう。社会構造についても、今までの家族生活と、個というもの、社会とが、大きな変化が起きているときに、 どのような仕組みを作ればいいか、横山先生がよくおっしゃっていることですが、課題が多くあり、それをどのように解決していくのか、その解決方法や仕組み、 科学と技術とあり方など生命科学でも考えておかないといけないだろうと思っています。