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【第1回健康医療ネットワークセミナー開催報告】

木内孝氏のお話

子供の頃から年の離れた人を見て「このくらいの年齢になるとこうなるんだな」ということに興味を持ちながら生きてきた。 28年前にイスラエルで急性肝炎になった。日本で入院したが、1ヶ月経っても治らない。病院からはこれ以上治療することはないから退院するように言われた。そこで、鈴木看護婦さんから言われた言葉。「医者は何もわからない。あなたの健康、あなたの身体はあなたにしかわからない。朝起きて気持ちいいとか、女性に興味があるとか、今日は何かやりたいとか、そういうことで自分を判断してこれからの人生を送りなさい。身体とはシステムだ。それを全体的にアクティベートして、良く機能するようにしなさい。それは、病院の仕事ではなく、あなたの仕事だ」。 退院して、仕事も徐々に再開した。
その後ボストンのMITに行く機会があって、同室の人と「これはサバティカルだ。何か健康にいいことをしよう」と意気投合して腕立て伏せを始めた。1980年9月20日がこの腕立て伏せを始めた記念すべき日だ。これは今でも休みなく続いていて、すでに1200万回は越えているかもしれない。飛行場のカウンターの陰で腕立て伏せをしたこともある。今日までの長い人生の中でいくつかの『目覚まし』があった。

最初が、大学を出たあとロッキー山脈で大きな事故を起こし、父親に「君は何をしても良いが、死んじゃいかん」と言われた。

これは人類文明全体に対する警告の言葉だと思った。

 

その後、アメリカで仕事をしているときに熱帯雨林の伐採という問題が起きた。

日本の商社がバッシングの対象になった。そこで、実際に現地に行ってみた。

サラワクの熱帯雨林では、植物と動物が渾然として完全な循環社会が形成され、『人間こそが自然にとって天敵ではないか』と思い至る。

 

 28年前の助言

 

「健康とは何だろう?」、「普通とか平常とはどういうことか?」と考えた。必要なのは継続すること。

腕立て伏せは、今では1日に2000回(500セットを4回)やっている。

「今日もできた。ありがたい!」と思うようになった。

 

薬・注射に頼らない。薬を飲まなくても自ずから癒える病は多い。

医療は自然治癒の人為的誘導と考える。

医事は自然に如かず。

 

自然への畏敬。自然の持つ素晴らしい力。供給と消費のバランスが取れた世界。

 

「足を知る」 皆が節約する。無駄なことをしない。それで大半の問題は解決する。

動物、植物、人間、自然に徹底的に「親切」に。

 

鈴木久子氏 のお話

私たち二人の出会いとなった、Kさんが退院したときの事を思い出してみた。

肝機能の回復が思わしくない。入院が長期化していた。

家庭のこと、子供のこと、仕事のことが気になっていた。

 

退院に賛同した理由は、肝機能検査値の回復は遅れていても体調は悪くはない。

病院は決して癒される場所ではないし、在宅療養が可能な家庭環境だったということがある。

「何かに興味を持てる」と言うことが快復の兆しである。

 

看護とは・・・自分自身の中に回復力、癒しの力がある。

それを専門的知識、技術で支援することが看護。

話を聴く、思いに寄り添う。

 

四苦=生老病死。

看護部長になる前に医療安全管理室で働いていた。

今の人は病気になって治らないのは病院が悪い、というようなところがある。

かっては、四苦は思い通りにならない運命という考えがあったが、現代では「都合の悪いことを他人のせいにする日本人が増加していると感じた。

 

今も大切にしていること。

1)母から教えられたこと。何かをするときは嫌々するのではなく楽しくしなさい。

2)高校時代に友達から教えられたこと。不本意でもやらなくてはいけないことがある。

3)マザー・テレサから教えられたこと。人は望まれて生まれ、必要とされ、愛され、見守られて最期を見送られることが大切。

4)仕事を通して教えられたこと。自分が知っていることはごくわずかであり、ほとんどを知らない。

 

 

セミナー参加者へのアンケート「私にとって健康とは」

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